エメラルド寺院
วัดพระแก้ว

エメラルド仏寺院の由来
エメラルド寺院は1784年ラーマー1世の時代にスコータイ王宮とアユッタヤー王宮にあった寺を模倣して国王の宗教儀式を行うために建てら
れました。この寺院にはお坊さんはいません。
エメラルド仏寺院はプラ・マハー・モンテイエン建物群の北側の門により連結されている王室守護寺院である。本堂に安置されているエメラルド仏
はタイ国の本尊仏として最も崇められ、仏陀の教えを信じる沢山の人々が毎日参拝にやってくる。エメラルド仏はブッサボクと言われる金箔で覆われた
木彫りのタイ様式の須弥壇に安置されている。エメラルド仏は暑季、雨季、寒季のいずれかの衣を纏い、年に3回王様自らの手で衣替えがなされる。
エメラルド仏は実際は緑色をした翡翠で彫られ、膝幅は48センチ、高さは66センチほどである。この仏像の由来は次のように伝えられている。
1434年、チェンライにある仏塔が落雷で破壊され、その内部から漆喰で覆われた仏像が発見された。そして漆喰の剥げた部分から緑色の仏陀像が
現れ、中からエメラルド仏が取り出された。その後ランパーンにしばらくの間留まったが、1468年ついにランナータイのティローカラート王はチェンマイ
の都にエメラルド仏を安置することに成功した。しかし、1552年、当時のチェンマイ王は後継者がいないまま他界された。王女の一人がラオス王
の下に嫁いでいたので、チェンマイ王としてその息子であるチャイチェッター王子が迎えられた。しかし、又、ラオス王が亡くなると、ラオスの都であった
ルアンプラバンにエメラルド仏を持って帰りラオス王として即位された。その後チャイチェッター王はビルマ軍に攻撃されたので、1564年に都をヴィエンティンに
移した。このようにして、エメラルド仏はラオスに226年間留まることになった。1778年、ラーマ1世がまだ将軍チャオプラヤー・チャックリーであった頃、
ヴィエンテインを占領しエメラルド仏を再びタイ国に持って帰った。そして、1782年にラーマ1世として即位されバンコクに都を築き、1784年に荘厳な
儀式の下にこの尊いエメラルド仏を王室守護寺院に安置された。
エメラルド仏寺院は寺院建築のすべての特色を備えているが、王室専用の寺院なので僧侶が住むことがないため、僧坊はみられない。エメラルド仏の
両脇には2体の宝冠仏立像が安置されている。これら仏立像はラーマ3世の命により、ラーマ1世とラーマ2世に奉納するために造られ、それぞれ
プラプッタ・ヨートファー・チュラーローク、プラプッタ・ルァートラー・ナパーライと名付けられた。また須弥壇の前には、プラ・サンプッタ・ハンニー像と呼ばれ、
非常に崇められているもう一つの仏像が安置されている。ワット・ボヴォーンニウェートの住職であった時にこの仏像を造らせた。
本堂の内部は見事な壁画で装飾されている。エメラルド仏の正面、東側入口の上段の壁には、仏陀が悟りを開かれる寸前の場面が描かれている。
それは大地の女神トラニーが徳の証人として現れ、髪の毛を振り絞り悪魔マーラ(煩悩)を退散させているエピノードである。南側の壁には、「仏陀の一生」
の誕生、出家などの場面、北側には説法、入滅などの場面、窓の間の壁画には「仏陀の前世」からの場面が描かれている。エメラルド仏の背後、
西側の壁には仏教の宇宙観が描かれている。
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1.本堂 พระอุโบสถ

アユッタヤー時代末期のスコータイスタイルで、ラーマー1世の時代
に立てられました。戸と窓の扉は美しい螺鈿細工で飾(かざ)られ、
中央の戸は国王、王妃が使用します。本堂の中央階段の横には
カンボジアから持って来た青銅のライオン像が2頭、そしてそれらを模倣
して造った10頭のライオン像があります。エメラルド仏の前の壁には、
悪魔がお釈迦様を攻めて来た時の絵が、後ろの壁には天国、現世
(人間の世界)、地獄の絵がそれぞれ描かれています。これらの壁画
はラーマー1世時代のものです。その左右の壁にはラーマー3、4世時代
に描かれたお釈迦様の一生の話の壁画などがあります。 |
2.エメラルド仏 องค์พระแก้วมรกต
エメラルド仏の由来

1437年(アユッタヤー時代前期)、チェンライ県の仏塔が雷で壊された時に1体の仏陀像が発見されました。
その後、仏陀像のしっくいがはがれ、中からひすいの仏陀像が現れました。チェンマイの国王は
この仏陀像を手に入れようとしてチェンライまで象の行列を送りましたが、途中この象達が興奮して走り出し、
ラムパーン地方へ行ってしまったので、チェンマイの王はそれを許し、この仏陀像は32年間ラムパーンにありました。
1468年、チェンマイのティローカラート王がこの仏陀像を取り戻し、エメラルド仏はその後84年間チェンマイに
安置されました。しかし次の国王はその父がラオス国王(母がチェンマイの王女)であったためラオス
の都ルワンプラバーンでの戦いを静めるためにエメラルド仏をラオスへ持って行きました。その後ラオスの都はヴィエンチャンに
移りましたので、エメラルド仏はラワンプラバーンに12年、ヴィエンチャンに214年間置かれました。1778年、
当時タークスィン王の将軍であったラーマー1世がヴィエンチャンを侵攻し、エメラルド仏をトンブリーに持ち帰りました。
そして、1784年、エメラルド仏を安置するためにエメラルド仏寺院を建てられました。
この仏陀像は年に3回衣替えをします。左のひざから右のひざまでの幅は48センチあります。台からの高さは
66センチあります。半かふ座でめい想の姿です。暑季、雨季の衣はラーマー1世時代に、寒季の衣はラーマー2世時代に
造られました。この仏陀像はその形から、15世紀ころチェンセーンの職人によって造られ、その材料のひすいは中
国南方のものではないかと言われています。現在このエメラルド仏はタイで最も大事な仏陀像とされています。
ラーマ1世とラーマ2世の宝冠仏
エメラルド仏の前の下の段には何体かの宝冠仏が安置されています。一番重要なのはエマラルド仏の左右に、
他の仏像より上に置かれている宝冠仏です。これらの仏陀像はラーマー3世がラーマー1世とラーマー2世にささげるために
造られました。高さは3メートルで青銅で造られ金で覆われています。そして、装飾もすべて金で出来
ています。そのために使われた金は1体につき38キログラムです。右の方はラーマー1世、左の方はラーマー2世と
いう名前です。
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3.プラモンドップ พระมณฑป

ラーマ1世のころに造られました。
金の法典と呼ばれるラーマー1世が改訂された仏教経典が納め
られています。法典は螺鈿細工がほどこされた戸棚の中に入ってい
ます。四つの戸の前には番人のヤック(鬼)とヘビの王ナーガが立って
います。
このモンドップの四つの角にはそれぞれの王様を表すシンボルが
置かれているブッサボックがあります。(ブッサボックは壁がない小さな
モンドップ型のものです。)北西にあるブッサボックにはラーマ5世の
作られた3人の王様のシンボルがあります。ラーマ1世は冠、ラーマ
2世はガルダがナーガをつかまれているところ、ラーマ3世はお城の
形です。南西のブッサボックには同じくラーマ5世が作られたラーマ4
世のシンボルの冠、南東のブッサボックにはラーマ5世のシンボルで
あるプラキアオという髪飾りがあります。北東のブッサボックにはラーマ
9世が作られた四つのシンボルがあります。それらはラマー6世のシン
ボルのヴァジュラというインドラ神の武器、ラーマ7世のシンボルの3本
の矢(サームソーン)、ラーマ8世のシンボルの観世音菩薩、ラーマ9
世のシンボルの即位式に使う台です。そして、それらのブッサボックの
周りには王位の象徴の9段の傘と象の銅像があります。
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4.王室のお堂(プラーサート・プラテープビドーン) ปราสาทพระเทพบิดร

プラモンドップの東にあります。十文字の形の建物です。屋根は
四重に重なって、屋根の中央のプラーンの先はシヴァ神の印と冠で
飾ってあります。戸と窓の上には男性用の高い冠の形の飾りがあり、
戸と窓の扉は黒と金の漆細工で飾ってあります。
ラーマ4世はエメラルド仏を安置するために建て始められましたが、
完成したのはラーマ5世の時です。ラーマ5世はこのお堂は儀式を行う
には小さすぎるので、ラーマ4世の小さな金の仏塔をここに安置され
ました。後、火事があって新しく修理され、ラーマ6世の時に完成され
ました。ラーマ6世はこのお堂をプラーサーと・プラテープビドーンと名付
けられ、ラーマ1世からラーマ5世までの像を王宮からここ移して安置
されました。いまではラーマ6世、7世、8世の像も安置されています。
毎年のチャックリー王朝記念日(4月6日)にこの王様の像をお
祭りする儀式が行われています。
お堂の前には神話のヒマラヤの森に住む動物の像があります。
たとえばキンナラ(体の上半身が人、下半身が鳥)などです。 |
5.金の仏塔 พระศรีรัตนเจดีย์

プラモンドップの西にあります。ラーマ4世がアユッタヤーのワット・
プラスィーサンペットの仏塔を模倣して建てさせました。その中には、
お釈迦様の遺骨(仏舎利)が入っています。 |
6.アンコールワットの模型 นครวัดจำลอง

プラモンドップの北にあります。
ラーマ4世はクメールがタイの属国になっていた時、クメールのアン
コールワットを珍しいので国民に見せたいと思われました。それでここ
にアンコールワットをまねて造らせましたが、完成したのはラーマ5世の
ころでした。 |
7.カンターラ仏のお堂 หอพระคันธารราษฎร์
本堂の東南の方に、カンターラ仏という仏陀像が安置されている
小さなお堂があります。この仏陀像はバンコク時代の初期のスタイル
です。雨を降らす力があると信じられ、農業に関する行事に本尊とし
て使われています。この西にラーマ4世によって造られた鐘楼がありま
す。この鐘楼のつり鐘はひびきがいいと言われ、重要な時だけに鳴ら
します。本堂の後にはラーマ4世が建てた二つのお堂があります。
北の方のお堂の中にはバンコク時代とトンブリー時代の国王にささげ
られた仏陀像が安置されています。北の方のお堂の壁にはクルワイン
コーンという画家によってアユッタヤー時代の年代記が描かれています。
南の方のお堂の壁にも同じくクルワインコーンのバンコク時代の年代記
の壁画があります。この二つの建物の間に仙人の銅像があります。
この仙人はよく効く粉薬を作ると信じられています。
本堂の周りのサーラーラーイは昔、男子が経典を読むところとして
使われていました。 |
8.ウィハーンヨート วิหารยอด

本堂の北の方には三つの建物があります。東側の建物はラーマ1
世の王子の1人が建てた経蔵でプラモンティエンタム堂といいます。
法典は螺殿細工が施された入物に納められています。中央の扉は
アユッタヤー時代末期の螺鈿細工です。中国製のタイルで飾られて
いる中央の建物はウィハーンヨートといい、ラーマ3世の時に建てられ
ました。扉にはアユッタヤー時代に作られた真珠貝の螺鈿細工が施
されています。その中にはナーガ仏という仏像や他の仏像も安置され
ています。西には王族の遺骨が納められているプラナーガというお堂が
あります。 |
9.回廊と壁画 ภาพจิตรกรรมรามเกียรต์ิ

回廊にはラーマキエン物語の壁画が描かれています。(これはイン
ドのラーマーヤーナから伝わったものです。)この物語のあらすじは次の
ようです。トッサカンという鬼がラーマ王子の妃であるスィーダーを誘拐
したなでラーマ王子とトッサカンとの戦いが起こりました。ラーマ王子に
はすぐれた大将軍であるハヌマーンという猿がいます。壁画ではハヌマ
ーンは白い色で描かれています。最後にはラーマ王子が勝った、
スィーダーを取り戻しました。この物語のテーマは、勇気、誠実、忠実
をたたえていることです。回廊の柱には壁画についての説明が書いて
あります。 |
10.8基のプラーン(クメール風の仏塔) พระอัษฎามหาเจดีย์ 8 องค์
本堂の前には8基のプラーンがあります。6基は回廊の外側、
あと2基は回廊の内側にあり、ラーマ1世のころに建てられたと思わ
れます。後、ラーマ3世が新しく修理され、金箔をはりました。その後、
ラーマ4世のころにそれぞれのプラーンは違った色のタイルで飾られま
した。プラーンは北から南に次のように並んでいます。
- 白のプラーン
お釈迦様のためにささげられています。
- なす紺色のプラーン
仏法のためにささげられています。
- ピンク色のプラーン
増侶のためにささげられています。
- 緑色のプラーン
尼のためにささげられています。
- 紫色のプラーン
悟りを得た後、他の人に説法をしない仏陀のためにささげられています。
- 青色のプラーン
全世界で一番偉い王様のためにささげられています。
- 赤色のプラーン
観世音菩薩のためにささげられています。
- 黄色のプラーン
弥勒菩薩(将来この世に来て仏
陀となって人々を救う菩薩)のためにささげられています。
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11.鬼の門番 ยักษ์ ทวารบาล 12 ตน

これらの鬼の門番はラーマキエン物語の重要な鬼で、ラーマ3世
の時代に造られました。中はしっくいで、外側は色のタイルで飾られて
います。本堂の方に顔を向けて、お寺を悪魔から守るために回廊の
門に立っています。 |
12.2基の金の仏塔 พระเจดีย์ทอง 2 องค์
王室のお堂の前にあります。この仏塔はラーマ1世がご両親にささ
げるために造られました。仏塔の形は12本すみ取り型で、銅でおおっ
た上から金箔がはってあります。台には悪魔と猿がささえている姿の
飾りがあります。 |